大毘沙門天王 | 日蓮宗 松流山正伝寺

正伝寺大毘沙門天縁起

 当山を代表する守護神は、開運大毘沙門天王様です。毘沙門様はこの娑婆(しゃば)世界の中心にあるとされる須弥山(しゅみせん)という高い山の北側の中腹に住み、娑婆世界を守る役目をになう神様です。のみならず、とくに法華経を信じ行ずる者を守護する誓いを立てた天王様でもあられます。
 当山の第七世、普明院日榮上人(ふみょういんにちえいしょうにん)は身延山流の祈祷の秘法を受けた大験者でした。この日榮上人は、摂津(大阪)梶原の一乗寺という寺の住職も兼任しておられました。この一乗寺には、伝教大師(でんきょうだいし)(767~822)作と伝えられ、日蓮宗の中興を謳われる久遠成院日親上人(くおんじょういんにっしんしょうにん)(1407~1488)が開眼された毘沙門天が二体ありました。そこで日榮上人は、東国江戸における根拠地である正傳寺の興隆を祈って、二体の毘沙門天のうちの一体を正傳寺に移したのです。文化の中心地、江戸に移られた毘沙門天様は、以前にも増してその霊験をあらわし、参詣者が江戸中から集まり、とくに初寅の日には目を見張るほどの活況を呈しました。いつしか「江戸三大毘沙門の一角」と呼ばれ、上は江戸城大奥から下は吉原の女郎衆まで、広く江戸庶民の信仰を集めたのです。その当時の隆盛の様子は「江戸名所図絵」等多くの文献によって偲ばれます。現在でも、正月・五月・九月の初寅の日には、毘沙門堂において御開帳と御祈祷が行われております。

毘沙門天王とは

 毘沙門天王様は、梵名(サンスクリット語での名前)はヴァイシュラヴァナといい、「毘沙門(びしゃもん)」はこの発音からきています。
 「ヴァイシュラヴァナ」は「神の息子」という意味ですが、「すべてのことを一切聞きもらすことのない知恵者」という意味ももつため、別名「多聞天」とよばれています。
 毘沙門天王様は、帝釈天に仕え須弥山の四方を守護する四天王の一角で、須弥山第4層の北面に、天敬城という蓮の花の香りのする絢爛豪華な御殿に住み、毘沙門様に追従して仏教に帰依した夜叉や羅刹など鬼神を率いて北倶廬洲(ほっくるしゅう)を守っています。
 多くの場合、四天王の一人として語られるときは「多聞天」と呼ばれ、単独で語られるときには「毘沙門天」と呼ばれます。

 毘沙門天王様は、インド神話によれば、元々はクーベラという財宝を守る神様でした。

 毘沙門様や、夜叉族、羅刹族がお釈迦様に帰依する場面は、法華経 第二十六品 陀羅尼品(だらにほん)にあります。

 毘沙門天王様が、日本で最初に姿をお現しになったのは、飛鳥時代用明天皇の時代で、物部守屋を討伐するため聖徳太子が蘇我馬子に従軍してある山にさしかかったとき、必勝の祈願をしところ、天高く毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授けたとされます。
 折しもこの時が、寅の月、寅の日、寅の刻だったと伝えられています。
 このことから、毘沙門天王様をお祀りするところには虎が登場する機会が多く、当山の毘沙門堂にも狛犬ならぬ狛寅が鎮座しています。
 そのご加護で、物部守屋を討伐できた聖徳太子は、自ら毘沙門天王の尊像を刻み、伽藍を創建して、信ずべき山・尊ぶべき山「信貴山」と名づけたと伝えられます。(朝護孫子寺縁起より)
 また、鞍馬寺縁起では、「鑑真和上の高弟・鑑禎上人が霊夢で白馬に導かれてれて鞍馬山に登り、鬼女に襲われたところを毘沙門天王に助けられた」とあり、この時も寅の月、寅の日、寅の刻であったとされています。

 前にも述べましたように、毘沙門天王様の梵名、「ヴァイシュラヴァナ」は「すべてのことを一切聞きもらすことのない知恵者 — 多聞」という意味もあります。聖徳太子の有名な逸話「十人の意見を聞き分けることができた」というのは、物部討伐の後に四天王をお祠りして感謝したという功徳によるものであるというお話もあります。

毘沙門天王様のご利益

 江戸名所図絵からもその賑わいが見て取れますが、昔から毘沙門天王様は、霊験あらたかな神様として信仰されてきました。
 毘沙門天王様の使いは、「寅(とら)」と、「百足(むかで)」 です。
 「寅」については、寅年、寅日、寅の刻の伝承などから縁の深い眷属であるとわかります。
 「百足」について一説には、物部守屋討伐の際の毘沙門天王様が授けてくれた秘法「百人の朋と心を一つにして、戦いなさい」ー 百足のようにたくさんの足が全て調和しないとうまく歩くことができない ー との教えからともいわれます。
 また、百足は前進するだけで後ずさりができず、そこから「勇猛=戦の神」とされているといわれます。

 毘沙門天王様の前身が財宝を守る神であったこと、また使いである百足は足が多いことから、「おあし(銭)」がたくさんあるとして金運を呼ぶ神様として信仰されてきました。
 また、インド神話では空飛ぶ戦車(プシュパカ・ラタ)をあやつっていたことや、七福神のなかで唯一甲冑を着ている戦いの神であることから、戦国大名の上杉謙信も信仰する勝運の神様でもあります。

 しかし、毘沙門天王様のご利益はそれだけではありません。
 「仏説毘沙門天王功徳経(ぶっせつ びしゃもんてんのう くどくきょう)」という毘沙門天王様の御利益を詳しく説くお経があります。
 このお経によると、毘沙門天王様が住む天敬城では、福や財宝が湯水のように溢れ出ており、一日に三回焼き捨てるほどであるとされます。そして毘沙門さまは、私を信仰する者に、この福の数々を与えよう、とおっしゃっています。

 この「福」は

一、尽きる事のない福。
二、人々から愛される福。
三、智慧の福。
四、長命の福。
五、仲間が増える福。
六、戦に勝つ福。
七、豊作の福。
八、生糸作りの福。
九、善い教えの福。
十、真の愛の福。

の十種です。(浄信、戒、聞、受、捨、慧、貌、力、弁、色声香味触富貴自在の十種)

 「なんだ、万能じゃないか!」と思うかもしれませんが、実際は、

 そう甘くはありません。この福徳を得るためには次の五つの条件があるのです。

一には父母孝養のために生きる
二には功徳善根のために生きる
三には国土豊饒のために生きる
四には一切衆生のために生きる
五には無上菩提のために生きる

 私たちは、この条件をクリアできるよう、日々精進することが大切です。

正伝寺の毘沙門天王様

 縁起にもあるように、当山に鎮座する「大毘沙門天王」様は江戸三大毘沙門の一角をなし、江戸名所図絵にも描かれているように、寅の日には毘沙門講と言われる信徒のグループが集まり、大いに賑わいました。
残念ながら、現在では民間信仰自体が薄れ、当時ほどの賑わいはありませんが、御開帳の日には善男善女の方々にお参りいただいております。

 当山の「大毘沙門天王」様は、普段は拝観することができませんが、毎年正月、五月、九月の初寅の日に、御開帳、ご祈祷を行っております。
毘沙門堂の室には、当山の毘沙門天王様を開眼された日親上人をお祀りしています。

 正月の初寅の日に授与された江戸時代の「百足小判」を現代に復刻したお守り。
「毘沙門様の眷属の百足(むかで)は、「お足」=「お金」が多い、また「出足」が多いことから、金運上昇、商売繁盛、人気上昇、人徳向上などのご利益があるとされます」
縦40mm横26mmの大きさです。財布に入れておくことをお勧めします。常時、社務所で頒布しております。

 霊験あらたかな、大毘沙門天王様。お参りするためには、特別の資格は何もありません。
善男善女のみなさん、御開帳の日には是非お参りください。

江戸名所図絵

江戸名所図会に云、金杉の通り東の方の横小路にあり、松林山正傳寺とおへる中山派の日蓮宗の寺境にあり、本尊は傳教大師の作にして、後、日親上人再び點眼供養するとぞ、往古は摂州梶折邑一乗寺といへる寺にありしかとも、僻地にして結縁の人少し(一乗寺は金仙寺といひし真言の密乗なりしを日親上人の弘教に帰して本化の宗に改む)依て寛文の頃、衆生化益の為、日栄上人ここに移し奉るとなり。霊験感應の著しき事は寺記に詳なり、故に参詣の貴賎日に多く、寅日は殊に群集せり。(正月初の寅日参詣の人、大方は芝神明宮の門前にて燧石をもとめて帰る輩あり、洛北の鞍馬山の毘沙門天へ正月初の寅日詣する輩、燧石を買て家土産とす、これを畚おおしといふ、これに準ふといふ。)日親堂(日親上人の像を安ず、霊験著るし。)

合 掌
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須弥山

世界の中心にそびえるという高山。この山を中心に七重に山が取り巻き、山と山との間に七つの海があり、いちばん外側の海を鉄囲山(てっちせん)が囲む。この外海の四方に四大洲が広がり、その南の州に人間が住むとする。頂上は帝釈天の地で、四天王や諸天が階層を異にして住み、日月が周囲を回転するという。(大辞泉より)

伝教大師

平安時代の僧、最澄の諡号(生前の行いをたたえて死後に送る名)で清和天皇より送られた日本で初めての大師号。日本の天台宗の祖。

久遠成院日親上人

(1599ー1666)中山法華経寺の僧日英の門に入り修行した。中山門流期待の人物として肥前国松尾の光勝寺に赴き教団の指導にあたった。ところが厳格な日蓮宗の信仰を主張して領主を激しく批判したため中山門流を破門されてしまった。厳格な純正法華経信仰は生涯をとおして貫かれ、そのため、はげしい法難をたびたび被りもした。なかでも将軍足利義教に対し諌暁(かんぎょう)を図ったさいには、灼熱の鍋を頭に冠せられたり、舌を切られたりという過酷な拷問を受けた。このことによって後世「なべかむり日親」と呼ばれるようになった。この後日親は、京都に本法寺を再々建して、ここを拠点として教団の整備と伝導につとめた。(法藏館 日蓮宗小事典より)

開眼

新しくできあがり、また修復された仏像・仏画などに魂を招き入れ、仏眼を開かせること。日蓮宗では日蓮が『四条金吾釈迦仏供養事』などに、開眼は法華経に限るべしと示しているところから、法華経の経力による開眼供養の作法・儀式を伝えている。(法藏館 日蓮宗小事典より)

江戸三大毘沙門

当山のほか、浅草の誠向山正法寺、神楽坂の鎮護山善国寺。

夜叉族

クベーラの配下、ヤクシャー族。ヤクシャー族は、黒い体、猛獣の牙、曲がった爪と青い瞳を持ち、性格は、残虐で人肉を好み、人を惑わすとされた。族の王であるクベーラが仏教に帰依すると配下だった彼ら夜叉も、仏教を信仰し、天界八部衆、八大夜叉大将、十二神将などの要職を任ぜられることになる。

ラーヴァナ

叙事詩「ラーマーヤナ」に登場するラークサシャ(羅刹)族の王で、10の頭、20の腕と銅色の目、月のように輝く歯と山のような巨体を持つ。ランカー島を追われた一族の再興のため、千年間、10ある頭を1つずつ切り落として火にくべるという荒行を行った。最後の1つを切ろうとしたとき、三最高神の一人ブラフマー神に認められ大きな力を得た。

カイラス山

チベット高原西部にある山。標高6656m。信仰の山であるため登頂許可が下りないため未踏峰。仏教(特にチベット仏教)、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教で聖地とされる。チベット仏教では須弥山と同一視されている。

四天王

四大王衆天の主。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕える四人の守護神。持国天、増長天、広目天、多聞天のことで、須弥の四洲を守護している。

陀羅尼

サンスクリット語の「ダーラニー」の音訳。一語の中に無量の徳を備え、治病・護法・減罪・降伏の力を持つ呪文のこと。本来は善き法をもって忘れず悪法を起さしめない能力をいうが、法華経では陀羅尼品と普賢菩薩勧発品に行者守護の陀羅尼呪が載せられている。(法藏館 日蓮宗小事典より)